お笑いコンビ「トータルテンボス」の藤田憲右(ふじた けんすけ)さん。
『ハンパねえ!』が口癖で、アフロヘアーが特徴です。
今回はそんな「トータルテンボス」の藤田さんにスポットをあてて、
トータルテンボス藤田の大学高校はどこ?
トータルテンボス藤田の部活は野球部で実力は?
トータルテンボス藤田の学生時代のエピソード5選
以上の3つのテーマについて調べてみました。
どうぞ最後までお付き合いください。
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トータルテンボス藤田の大学高校はどこ?
トータルテンボスの藤田憲右さん。
吉本興業所属のお笑いコンビ「トータルテンボス」ではツッコミを担当しています。
相方は、大村 朋宏(おおむら ともひろ)さんです。
トータルテンボス藤田さんは、静岡県御殿場市出身です。
小学校は、
- 静岡県静岡市(政令指定都市移行前で現・静岡市葵区)の竜南小学校(1年生時)
- 愛知県名古屋市緑区の旭出小学校(2〜5年生時)
- 御殿場市の御殿場南小学校(6年生時)
と家庭の事情で転校を繰り返していました。
中学校は御殿場市の南中学校、
高校は県立小山高校に通っていました。
大学は、一浪を経て中央学院大学商学部に入学しましたが、中退しています。
その後、1997年4月にコンビ「トータルテンボス」を結成。
結成のきっかけとなったのは、
大学時代の大村さんが「ロンドンブーツ1号2号」の深夜番組を見て芸人を志し、
小学生からの同級生であった藤田さんを誘ったことでした。
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トータルテンボス藤田の部活は野球部で実力は?
トータルテンボス藤田は生粋の野球ファン!
お笑い界でも随一の野球好きとして有名な、トータルテンボスの藤田憲右さん。
人気バラエティ番組「アメトーーク」の人気企画「高校野球大大大好き芸人」では、
高校野球への愛情、造詣の深さを披露しており、
彼の野球好きは全国の野球ファンの間でも有名です。
また藤田さんは、2016年には、
「ハンパねぇ!高校野球」(小学館よしもと新書)も執筆しており、
全国の野球指導者、選手との交友関係もかなり広いのです。
現在は息子の学童野球を応援する傍ら、
色々な学童野球の現場を見て周り様々な情報発信や問題提議なども行っているほか、
オンラインサロン「トータル藤田の野球教」も運営しています。
また、元ロッテ二軍監督の古賀英彦氏が監督を務める
社会人野球チーム「東京メッツ」に所属し、部長を務めています。
藤田さんは、将来は地元静岡県の高校で野球部の監督をするのが夢だと公言しています。
野球好きのきっかけはKKコンビ
そんなトータルテンボス藤田さんは、
小学3年生から野球を始めています。
当初は野球に興味がなかったそうですが、
藤田さんが通っていた小学校は、
3年生から部活に入らなければならないう決まりのある学校だったそうです。
仲の良かった友達がみんな野球部に入るからという感じで、
藤田さんは、なんとなく……という感じで野球部に入ったんだそうですよ。
当時はまだ、サッカーより野球の時代でしたからね!
そんな藤田さんが野球を「楽しい」と思えるようになったきっかけは、
小学4年生の夏休みにテレビで見た、
PL学園のKKコンビ(桑田真澄さんと清原和博さん)の存在でした。
PL学園のKKコンビとは…
桑田真澄と清原和博の2人の野球選手のことです。2人は1983年から1986年まで同じ高校でプレーし、春夏の甲子園で5季連続出場、2度の優勝を果たしました。KKコンビは2人の名前の頭文字をとったもので、高校野球界に大きな影響を与えました。プロ入り後も巨人や西武などで活躍し、オールスターや日本シリーズで対戦することもありました。
甲子園で躍動する『KKコンビ』に感動した藤田さんは、
野球にのめり込むようになりました。
当時の心境を藤田さんは次のように振り返っています。
清原のホームランがとにかく大迫力で、子どもながらにめちゃくちゃ衝撃を受けたのを覚えています。それからは、自分も野球を頑張ってみようかなと思うようになりました。
引用:https://media.alpen-group.jp/
当時、藤田さんのような少年は全国に多数いました。
それだけ『KKコンビ』は偉大だったのです。
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トータルテンボス藤田の野球の実力は?
中学時代最後の大会で大活躍
藤田さんは、小3から中3の春まではずっと、
キャッチャーとしてプレーしていましたが、
中3の夏の大会前にピッチャーに転向しています。
というのも、藤田さんの中学校にはピッチャーが一人しかいなかったのです。
チームにもう一人ピッチャーが欲しいということで、
肩の強かった藤田さんに声がかかりピッチャーに転向したそうです。
中3の最後の大会では、初戦で負けそうだったところで、
藤田さんは代打で登場し、サヨナラヒットを打ち逆転勝ちしました。
その後、2回戦、3回戦は藤田さんが投げて3連勝!!
藤田さんの大活躍でチームは最後の大会をベスト4まで進出したのでした。
“打って良し、投げて良し”と今でいう大谷選手のような活躍したわけですから、
藤田さんの野球センスはかなりのものだったのでしょうね!
高校ではエース
高校に入ってからは、
きちんと下半身を使って投げられるようフォームも矯正してもらって、
細かい技術的なところも教わり、ピッチャーとしての総合力がグングン成長したそうです。
最終的には球速も130km/hを超えるようになったんだとか。
そんな藤田さんは、エースとして3年夏の静岡県大会で
2試合連続で1安打完封勝利も記録しています。
しかし、3回戦ではシード校の静岡商業に負けてしまいました。
こちらが藤田さんが所属していた当時の県立小山高校の戦績です。
◎高校1年生:1991年
・第73回夏の静岡大会では2回戦敗退
◎高校2年生:1992年
・第74回夏の静岡大会では1回戦敗退
◎高校3年生:1993年
・第75回夏の静岡大会では3回戦敗退
強豪校がひしめき合う静岡県大会でエースとして3回戦まで勝ち進んだのですから、
藤田さんの実力はかなりのものだったのではないでしょうか?
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トータルテンボス藤田の現在の球速は?
トータルテンボス藤田さんは、プロ野球の始球式には何度も登場しています。
しかし、藤田さんの始球式の球速の情報はなかなか見当たりませんでした。
でも、2019年8月25日の千葉ロッテ対福岡ソフトバンク戦での「暴投」の情報がありました。
始球式に登場したトータルテンボスの2人。
大村さんが捕手の防具を着けながら、
マウンドへ向かうボケをかまし場内の笑いを誘うまではよかったのですが、
藤田さんが投じた球は、捕手を務めた大村さんも捕球できないほどのハンパない暴投でした。
藤田さんは肩をがっくし落とし、頭を抱えてマウンドを後にしていました。
しかし、始球式ではなくイベントでは、
藤田さんの現在の球速がわかる投球が見つかりました!
2019年5月に東京ドームのイベントに登場した藤田さんは、
「スピードガン・チャレンジ』で130キロ超えを目指して投球しています。
しかし、藤田さんの球速は、115kmに終わっています。
「記録は届かなかったですけど、これだけの大観衆のみなさんの中で投げられたことがすごく気持ちよかったです。めちゃくちゃ緊張しました。M-1の決勝よりも」
引用:GIANTS NEWS
藤田さんは「M-1」の決勝より緊張したようですよ。
でも、40代後半のおじさんが115kmも出すなんてスゴイことですよね!
普通のおじさんなら肩が抜けてしまいますよね!!
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トータルテンボス藤田の学生時代のエピソード5選
トータルテンボス藤田さんの学生時代には、
面白いエピソードがたくさんあります。
以下にいくつか紹介します。
学生時代のエピソード① 1年間声出しのみの野球部
藤田さんは、小学校3年生のときから野球を始めています。
そして、いざ部活が始まったら、
3年生の間はキャッチボールもやらせてくれなかったそうで、
ずっと同じ姿勢で2〜3時間声出しをしていたそうです。
最初の1年間は声出しのみで、藤田さんは
『これじゃあ合唱部じゃん』
って思いながら過ごしていたそうです。
小学校なのにやたら厳しい野球部だったようですね。
学生時代のエピソード② 相方・大村との出会い
「トータルテンボス」の2人は、
大村さんの通っていた小学校に藤田さんが6年生の時に転校してきた時が初めての出会いでした。
大村さんは藤田さんと初めての出会ったときのエピソードを次のように話しています。
藤田さんは当時から身長が170センチもあり体が大きかったそうです。
そんな藤田さんを見た大村さんは、番長格の同級生に
「やばいぞ!お前番長奪われるぞ!」とけしかけました。
するとその番長格の同級生は、
下駄箱の前でいきなり転校初日の藤田さんを背負い投げしてしまいした。
藤田さんは受け身も取れずに顔面を強打して、前歯1本が欠けてしまい、
その時できた傷はいまだに残っているそうです。
その時は警察も来るような大騒動になったそうですよ。
大村さんの悪戯心の犠牲になった藤田さんはとんだ災難でしたね!
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学生時代のエピソード③ 中学最後の大会で補欠になった
藤田さんがピッチャーを始めたのは中学3年生の夏の大会前でした。
藤田さんは正捕手だったので、
キャッチャーを続けながらピッチャーもやるつもりだったそうですが、
気づけばピッチャー一本になっていたそうです。
それまでずっと背番号『2』のレギュラーでしたが、
いきなり背番号が控えピッチャーのつける『10番』になってしまったそうです。
藤田さんは
『あれ、俺これ最後の大会補欠じゃないか?』
とショックを受けたんだそうですよ。
学生時代のエピソード④ 野球を続けられた原動力
藤田さんに刺激を与えたのは、
同学年で同じ静岡県で野球をしていた小野晋吾さん(現・千葉ロッテ2軍投手コーチ)と、
同じく同学年の岡島秀樹投手(元メジャーリーガー、現・野球解説者)の存在でした。
小野晋吾さんは中学のころから静岡では有名なピッチャーで、
藤田さんは試合で小野さんの投球を観て度肝を抜かれたそうです。
小野さんは、中学校の頃から130km/h後半の球を投げていました。
しかも速いだけじゃなく、球が浮き上がる感じだったそうで、
藤田さんは
『こういうやつがプロに行くんだろうな』
と思っていたそうです。
高校入学後は学校が近かったこともあって、
地域の大会で毎年一回はかならず対戦していたそうで、
そのときはもう140km/hくらいの球を投げるようになっていたそうです。
そんな小野さんは1年生のとき、春のセンバツに出場。
『いよいよ小野晋吾のすごさが日本全国に響き渡るぞ、世間驚くぞ〜』
と思っていた藤田さんでしたが、1回戦で当たった対戦校の相手ピッチャーは、
さらに速い球を投げていたのです。
それが、京都代表・東山高校の岡島秀樹さんだったのです。
『上には上がいるもんだな』と藤田さんは愕然としたそうです。
しかし、それがきっかけで
藤田さんはそんな2人に近づきたいと思い、
必死にトレーニングを積むようになったんだそうですよ。
藤田さんの高校の練習はそんなにきつくなかったそうです。
藤田さんはもっと練習がきつい学校でやってみたかったそうです。
藤田さんは、とてもポジティブな高校球児だったようですね!
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学生時代のエピソード⑤ 大学では野球を続けなかった
藤田さんは、大学では野球を続けませんでした。
藤田さんは、高校の夏の大会が終わってから、
何校か大学のセレクションを受けました。
そして、東北にある大学に受かりました。
しかし、藤田さんは首都圏に出たかったので悩んだ末に入りませんでした。
セレクションに落ちた首都圏の大学を勉強のほうで目指そうと受験もしたそうですが、
全て落ちてしまいました。
結局1浪した藤田さんは、
現役で大学に入れていれば絶対に続けていたと思うんですけど、一度全部落ちて心を折られたし、1つ歳下の子たちと一緒にやるのもちょっと違うかな…
引用:https://media.alpen-group.jp/
と感じてしまい、そのまま野球をやめてしまいました。
それからしばらくは、野球をまったくやらず、観ることさえなくなったそうです。
藤田さんは、当時の心境を
羨ましいなっていう嫉妬心もあったりして、嫌になってしまったというか。まあ、悔しかったんでしょうね。
引用:https://media.alpen-group.jp/
と振り返っています。
そんな藤田さんは、高みを目指し浪人を決意したはずでしたが、
結局1年間遊んでしまい、現役時代に普通合格した大学に補欠合格という結果になってしまったんだそうですよ。
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まとめ
今回はそんな「トータルテンボス」の藤田さんにスポットをあてて
- トータルテンボス藤田の大学高校はどこ?
- トータルテンボス藤田の部活は野球部で実力は?
- トータルテンボス藤田の学生時代のエピソード
以上の3つのテーマについて調べてみました。
いかがだったでしょうか。
今後の活躍がますます楽しみですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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