日本の伝統芸能である「狂言」を芸風に取り入れ、
現代的テーマを漫才として演じる、
お笑いコンビ「すゑひろがりず」。
すゑひろがりずのツッコミと小鼓を担当しているのが南條庄助さんです。
今回はそんな南條庄助さんにスポットをあてて
すゑひろがりず南條庄助の出身大学は?インドネシア語専攻?
すゑひろがりず南條庄助の高校はどこ?
すゑひろがりず南條庄助の学生時代のエピソードは?
以上3つのテーマについて調べてみました。
どうぞ最後までお付き合いください。
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すゑひろがりず南條庄助の出身大学は?インドネシア語専攻?
まずは、すゑひろがりず南條庄助さんのプロフィールからご紹介しましょう。
- 本名:南條 庄祐(なんじょう しょうすけ)
- 生年月日:1982年6月3日 (40歳)
- 身長:168 cm
- 体重:78 kg
- 血液型:A型
- 出身地:大阪府堺市
- 学歴:堺市立新檜尾台小学校、堺市立赤坂台中学校、大阪府立鳳高等学校、大阪外国語大学(インドネシア語、現大阪大学外国語学部)卒業
- 特技:ヌンチャク、インドネシア語、利き納豆
- 趣味:寺社巡り、草野球
すゑひろがりずでは、
ツッコミ・小鼓担当であり、立ち位置は向かって左です。
それではここからは「すゑひろがりず」南條庄助さんの出身高校や大学の偏差値、
そして卒業後から「すゑひろがりず」結成までの経緯、
学生時代のエピソードなどを紹介していきましょう。
南條庄助の出身大学
南條庄助さんの出身大学は、
国立 大阪外国語大学 外国語学部インドネシア語学科
です。
偏差値は63で、難関大学と言えるのではないでしょうか。
大阪外国語大学は、東京外国語大学と同様に、
外国語学部だけを設置している国立大学として有名でした。
大阪外国語大学は司馬遼太郎さんなど著名人を多く輩出している名門校です。
しかし、2007年に大阪大学と合併して閉校になっています。
南條さんは大学では、
インドネシア語を専攻し、同時に野球部に所属していました。
大学卒業後NSCへ
南條さんは大学時代にお笑い芸人を目指し、
卒業後の2005年に吉本総合芸能学院(NSC)に入学しました。
NSCの同期には、「アインシュタイン」の稲田直樹さんなどがいました。
なお、現在の相方である三島達矢さんもNSCの同期ですが、
最初は別々のコンビで活動していました。
特に三島さんが組んでいた「バルチック艦隊」は、
結成5か月で「M-1グランプリ準決勝」進出しており、
「西のオリエンタルラジオ」と呼ばれるほどの注目を浴びていました。
その後、南條さんと三島さんは、それぞれのコンビを解散し、
三島さんは別の相方と一時期コンビを組んでいました。
その三島さんの新しい相方と南條さんのバイト先が同じで、
喋っていた際に「ちょっと1回、入れてくれへん?」と南條さんが提案。
南條さんは最初のコンビを解散して不安だったのですが、
三島さんは同期の中でもエリート、
しかもその相方はバイト先で仲が良いということで、
軽い気持ちで提案してみたんだそうです。
その提案に三島さんも「ああ、いいじゃないか」と快諾し、
トリオ「ガンセキオープン」が誕生することになりました。
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紆余曲折をへて「すゑひろがりず」誕生
しかし、トリオ「ガンセキオープン」は3年ほど活動しましたが、
劇場のオーディションに落ち続け、
更にメンバーの1人も去っていきました。
そして、2011年4月に南條さんと三島さんは、
2人でコンビを組み再スタートしています。
「ドロスス」や「みなみのしま」という名前で活動しましたが、
残念ながら鳴かず飛ばずでした。
M-1グランプリの優勝者のネタを徹底的に研究してもダメだったようで、
2012年にはもうやめようと思っていたそうです。
この時期は南條さんの暗黒時代だったようですね……。
しかし、最後の舞台で、
「自分たちらしくないことをしよう」と挑戦したのが
現在のネタの原型とも言える「狂言風クリスマス」です。
この和風コントが大ウケします。
それをきっかけに今の芸風になりました。
2人は、2週間後には着物姿になり、
2016年に芸風と合わせるため、
「みなみのしま」から現在の「すゑひろがりず」へとコンビ名を変更しています。
ちなみに、狂言ネタをやることを勧めたのは、
後にM-1グランプリで対戦することになるミルクボーイの駒場孝さんでした。
「すゑひろがりず」は「M-1グランプリ2019」の決勝に駒を進めました。
優勝には至りませんでしたが、3位になりその知名度は全国区となり、
その後はテレビなどに頻繁に出演するようになっています。
余談ですが、南條さんは売れるまでの長い期間、
『サンケイスポーツ』編集局運動部で新聞の切り抜き作業などのアルバイトをしていました。
同編集局では同期にあたる、「シソンヌ」のじろうさんもアルバイトしていたそうですよ。
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すゑひろがりず南條庄助の高校はどこ?
さて、次に南條庄助さんの出身高校を紹介しましょう。
南條庄助さんの出身高校は、
大阪府立 鳳(おおとり)高校
です。
偏差値は64で難関校と言えますね!
この高校は1922年開校の府立校で、古くから進学校として知られています。
毎年卒業生の多くは有名大学へ進学しています。
南條さんはこの高校に一般受験で入学しています。
南條さんは勉強がよくできる優等生だったようですね!
南條さんは、高校のときも野球部に入っていて、部活動に励んでいました。
進学校である鳳高校に通っていて、野球部にも所属していた南條さん。
そして大学は国立の大阪外国語大学(現在は大阪大学外国語学部)に進学し、
インドネシア語を専攻し、大学でも野球部で頑張っていました。
南條さんは文武両道の才能を持っていたことがわかりますね!
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すゑひろがりず南條庄助の学生時代のエピソードは?
ここでは、すゑひろがりず南條庄助さんの
学生時代のエピソードをご紹介していきましょう。
学生時代のエピソード①:父親からの微妙なプレゼント
南條さんは小学校時代から野球をはじめて、大学まで続けています。
そのため現在でも草野球が趣味になっています。
南條さんは小学校の頃に父親からグローブをプレゼントされたそうですが、
それは全く知らないメーカーのものだったので喜びも微妙だったそうです。
やはり、野球用具はメーカーの比重が大きいですよね。
特に小学生であれば、
好きな選手が使っているメーカーと同じものに憧れがありますから……。
学生時代のエピソード②:部活引退後の夏休みの思い出
南條さんは、前述したように高校時代も野球部に在籍しており、
部活動に励んでいました。
当時の野球部の練習はかなり厳しかったようです。
そのため高校3年生の時に部活動を引退した夏休みに、
仲間たちと福井県の海へ泊まりで遊びに行ったことが
人生で一番楽しかった思い出とインタビューで話しています。
苦楽を共にした仲間は一生の友達ですものね!
いい思い出が出来てよかったですね。
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学生時代のエピソード③:嫁は大学時代の野球部マネージャー
南條さんの嫁さんは、
大学時代に南條さんが所属していた野球部のマネージャーを務めていた人です。
13年間という長い交際期間を経て、結婚に至ったようですが、
そのプロポーズは2016年11月2日放送の日本テレビ系「ナカイの窓」に出演し、
13年付き合っているという彼女「みーさん」に電話での公開プロポーズでした。
南條さんは、持ちネタを見せたあと、電話でプロポーズすることに。
彼女「みーさん」に電話をかけた南條さんは
ずっと俺の横にいてくれてありがとう。今後も売れるかどうか分からないし、苦労をかけるかも分からないけど、良かったら僕と結婚して下さい
と告白。
電話先のみーさんは「はい」と即答。
2人は番組収録後の10月27日に婚姻届を提出しています。
2016年と言えば、南條さんは三島達矢さんと今の芸風で、
「すゑひろがりず」として再スタートを切った年です。
芸人としての目途が立ったということなのでしょうね!
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まとめ
今回は「すゑひろがりず」の南條庄助さんにスポットをあてて
- すゑひろがりず南條庄助の出身大学は?インドネシア語専攻?
- すゑひろがりず南條庄助の高校はどこ?
- すゑひろがりず南條庄助の学生時代のエピソードは?
以上3つのテーマについて調べてみました。
いかがだったでしょうか?
今後の活躍が楽しみですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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