お笑いコンビ・ハリセンボンの箕輪はるかさん、大学はあの早稲田大学なんだとか。
また大学では夜間部で宗教専攻とか?
高校大学時代は友達いないようですが、どんなエピソードがあるのでしょうか?
見ていきましょう。
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箕輪はるかの大学は早稲田の夜間部?宗教を専攻?
箕輪はるかの大学は早稲田の夜間部?宗教を専攻
箕輪はるかさんは、1999年4月に
早稲田大学第二文学部思想宗教系専修へ入学し、
2003年3月に卒業しています。
早稲田大学卒業とは箕輪はるかさん頭が良いのですね。
過去の早稲田大学には、
第二政治経済学部、第二法学部、第二商学部、第二文学部という
夜間部が併設されていました。
箕輪はるかさんも第二文学部ということで、夜間部だったようです。
それでも偏差値は60ということですから高いですよね。
残念ながら現在第二文学部無く、2014年に廃止されています。
箕輪はるかの受験エピソード
箕輪はるかさん、早稲田大学に入るため大学受験は猛勉強されたようです。
1日10時間以上勉強
浪人し、早稲田大学一本に絞り、
英語と国語の2教科を必死に勉強したのだそうです。
あとは小論文だったそうですが、
早稲田大学の小論文は高い論理的思考力が試されるそうで、
箕輪はるかさんはそれをクリアしたようですね。
試験直前には1日10時間以上勉強していたということですから、
合格は箕輪はるかさんの努力の結果と言えるでしょう。
塾に通っていない
また早稲田大学を目指す人の大半は塾へ通っているかと思われますが、
箕輪はるかさんは、塾へは行かず、独自のやり方をしていたんだとか。
例えば、
受験前の1カ月間は家から一歩も外に出ない
と決め勉強をしていたのだそうです。
ですが、試験当日に久しぶりに外に出たら、
太陽が眩しすぎてくらくらしたそうで、
これはおすすめできないということです。
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箕輪はるかの高校はどこ?文武両道だった?
箕輪はるかさんの高校はどこだったのでしょうか?
調べたところ、東京都立保谷高等学校であったようです。
1995年4月に都立保谷高等学校へ入学し、1998年3月に卒業しています。
偏差値は53と並ではありますが、
学問とスポーツを重んじる、文武両道の高校であったようです。
英語教育に関しても、グローバル人材の育成や
コミュニケーション力の伸長に力を注いでいるのだそうです。
また部活動・同好会は27団体を数え、運動部も文化部共に活発に活動。
平成27年には、生徒が綺麗な施設・環境で学生生活を送れるよう、
グラウンド・テニスコートが大規模改修したのだそうです。
運動にも力を入れていることがわかりますね。
東京都立保谷高等学校の公式HPの校長のあいさつにはこのような記述があります。
学習はもちろん、部活動や学校行事にも力を注ぎ、そして希望の進路を実現する。そんな充実して濃密な3年間を過ごせるのが保谷高校です。
引用元:https://www.metro.ed.jp/hoya-h/our_school/message.html
青春時代を謳歌できそうな高校ですよね。
では箕輪はるかさん、部活には入っていたのでしょうか?
入学した当初、箕輪はるかさんは、
バドミントン部に所属していたのだそうです。
バドミントン良いですねっ。
しかしさすが文武両道の高校。
練習が非常に厳しかったそうで、1年生の時に退部したのだそうです。
箕輪はるかさんはどうやら文武両道ではありませんでした。
箕輪はるかさんはこれといったエピソードがないまま高校を卒業されたようですね。
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箕輪はるかの大学高校時代は友達ゼロ?エピソード5選
箕輪はるかさんはどんな高校生活を過ごしたのでしょうか?
また、努力の末、早稲田大学へ入学した箕輪はるかさん、
どんなキャンパスライフを送っていたのでしょうか?
箕輪はるかの寂しい高校生活エピソード
箕輪はるかさん、残念ながら高校生活は
友達は少なく、あまり楽しいものではなかったようです。
恋愛もすることはなかったそうで、
高校生活での男子生徒との会話は、原稿用紙1枚に収まる量だったんだとか。
せっかくの青春時代…。
箕輪はるかの寂しい大学生活エピソード
授業と学校の往復だった
箕輪はるかさんの過去のインタビューから、
残念ながら孤独に過ごした大学生活だったことがうかがえます。
友達がいなく、サークルにも入っていなかったのだそう。
授業を一人で受け、授業が終わったらすぐに帰るという、
ひたすら家と学校の往復をしていたのだそうです。
図書館は1人でいても浮かないということで、
授業が1コマ空いた時には、大学の中央図書館の地下にこもって過ごしていたのだそう。
自動書架のスイッチをカチャカチャ押し、
書棚を動かすのがすごく楽しかったそうで、それをずっとやっていたんだとか…。
スイッチを押すことで、
『私は早稲田のものを動かしているんだ、早稲田に通っているんだ』
という実感を得ていたのだそうです。
さ、寂しい…。
ですが図書館好きがこうじて、
在学中に図書館司書の資格を取得されいます。
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最短ルートを教える友達がいない
またこの頃の箕輪はるかさんの楽しみは、
徒歩10分ほどある戸山キャンパスから早稲田キャンパスの間を移動する際の
最短ルートを模索することが楽しかったんだとか。
それで、人通りも少なくて裏道っぽい、
とても良いルートを見つけたのだそうです。
ですがそれも誰かにおすすめしたかったそうですが、
友達がいなかったので、箕輪はるかさんだけの道にしていたのだそうです。
やはり寂しい…。
友達いない大学4年間は苦しかった
皆がワイワイしている中に入りたいという気持も
箕輪はるかさんにはあったのだそうです。
しかし1年生の時、上級生からサークルや新勧コンパのお誘いで声をかけられても、
自分が行って大丈夫なのか、だまされるんじゃないかなど怖く感じ、
勝手に壁を作り、飛び込めなかったようです。
そのままずるずると1年2年が過ぎ、3年生になる頃には、
友達を作るのはもう無理なんだなと諦めて過ごしていたのだとか。
ですが、誰とも話さない期間が4年も続くと、苦しくなってきたのだそうです。
自分を変えようとお笑い芸人になる
このままではいけないという焦りが、
箕輪はるかさんをお笑いの養成所に入ろうという決意に繋がったんだとか。
後にあるインタビューで箕輪はるかさんはこう話しています。
4年間友達がいなくて、人に声をかけることができない自分を変えたい、今までやったことのないところに飛び込みたいという気持ちが大きく膨らんだ結果なんです。
今思えば、私にとっては必要な4年間だったのかなと思いますね。引用元:https://dot.asahi.com/dot/2021091700012.html?page=3
元々は公務員になろうと考えていた箕輪はるかさん、
寂しい大学生活を過ごしていなければ、
今の箕輪はるかさんはいなかったかもしれないんだと思うと感慨深いですね。
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まとめ
箕輪はるかさんは早稲田大学の夜間部で宗教専攻されていました。
大学受験は家に引きこもり、かなり猛勉強をされたようですね。
寂しい大学生活であったようですが、芸人になりたいと思ったきっかけはこの寂しい大学生活であったようです。