吉本興業所属でデビュー時から飛ぶ鳥も落とす勢いで
人気をはくしているダウンタウンの松本人志さん。
今もお笑いの探求心がすごく、人々に笑顔を与え続けている方ですが、
その生い立ちは常に笑顔ということもなかったようです。
では、
『松本人志の父親の職業は元鉄道職員?』
『不仲で確執が凄い&捨てられることも?』
について、どうぞ御覧ください。
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松本人志の父親の職業は元鉄道職員?母親はどんな人?
松本人志の父親の職業は元鉄道職員?
まず松本人志さんのその家族構成から少しご紹介します。
父、母、姉、兄、松本人志さんの5人家族だそうです。
父
- 名前:松本譲一
- 職業:鉄道職員?舞台装飾?室内装飾?
- 2014年8月他界
母
- 名前:松本秋子
- 出身:津市
- 創価学会会員?
姉
- 名前:松本なおみ(直美?奈緒美?)
- 職業:銀行員?
兄
- 名前:松本隆博
- 職業:シンガーソングライター
このように松本人志さんのご実家の皆さんの情報を確認しましたが、
「?」とあいまいなことがとても多いです。
「?」を付けたところには明確な事実がなく、
どれも噂レベルでしか確認できませんでした。
父・松本譲一さんの職業はネット上で、
旧国鉄(現在のJR)の職員や内装飾や舞台装飾をしていたなどと噂になっています。
旧国鉄(現在のJR)の職員説が有力だそうですが、
情報源は明らかになっていないので特定はできません。
テレビという大衆が見るメディアにも
何度も登場されているご一家ですが、
ここまで情報が洩れないのはすごいですね。
お姉さまに関してはお名前の漢字すら2パターン紹介されており、
どちらが正式なのかも明記されているものが見つかりませんでした。
松本人志の母親はどんな人?
お母様に関しては「おもしろい」方であると定評があり、
過去にダウンタウンとしてネタにしていた
「おかんとマーくん」の「おかん」は、
松本人志さんのお母様である秋子さんがモデルになったといわれています。
松本人志さんもお母様を今も大切にされており、
「お小遣いをくれる」
「いつも心配してくれる」
といった穏やかな親子仲がお母様の言葉で伝えられています。
そんなお母様とは今も穏やかな関係を築かれている松本人志さんですが
子供のころは今の関係図からは、
想像できないほどのエピソードもあったようです。
主にお父様との間にあった確執のようですが
続きでみていきましょう。
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松本人志と父親の確執がすごい!捨てられることも?!
父に捨てられる?
松本人志さんはメディアでもよく、
お父様との話をお話しされています。
その中でもとくに有名で衝撃的なのが
「捨てられそうになった」
という話ではないでしょうか。
ある夏の日に松本人志さんはお父様である譲一さんから、
「涼みに行くぞ」といわれてカブに乗せられました。
カブはどんどん進み、夜なのに結構遠くまで来ました。
家からは遠い遠方の埋め立て地まで連れてこられ、
そこで降ろされた松本人志さん。
お父様はどんどん歩いて小さくなっていくそうです。
そこで松本さんが思ったのが、
「あかん、捨てられる」ということでした。
松本人志さんは必死に追いつき、
二人は息を切らしながらカブまで戻ったそうです。
無事追いついた松本さんはカブでも
お父様にしがみつく形で無事に帰り着いたそうです。
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兄は1番父に気に入られたけど捨てられそうになった?
そのほかにもお父様からは
「隆博だけがおればええ」
兄だけがかわいいというセリフを
家族団らんの席で言っていたそうです。
松本人志さんはそれらの経験がトラウマになっていて、
お父様との確執は最後までなくなりきることはなかったようです。
ただ、「捨てられる」といったことに関しては、
「かわいい」といわれていたお兄様の隆博さんもされていたようで
お二人で笑いに変えられたエピソードもあります。
姉は電話コードを切られた?
他にもお姉さまは、
電話中にコードを切られたりということもあったようなので、
なかなかにカッとなったら行動力がすごい父だったようです。
そんなお父様が他界された際には松本さん自身が戸惑われていました。
親父が死んだ。。。
オレは悲しまない。
あの人とはいろいろあったからな。
葬式で帰省。あの人と暮らした尼崎を少し歩いた。あの人と子供の頃行った太陽の塔を見に行った。あの人と食べたチキンライスを食べたらさすがにいろんな感情が押し寄せて来やがった。。。
親父。さいなら。— 松本人志 (@matsu_bouzu) August 31, 2014
お父様との確執を表す最後の言葉です。
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松本人志の生い立ちも壮絶!
家族間でのギクシャクした関係が否めなかった過去の松本家ですが、
松本人志さん自身の生い立ちにも壮絶さを出しています。
エピソード① 自転車
自転車を買ってもらえなかったため、エア自転車で行動していた。
松本人志さんは周りがみんな自転車に乗っている中、
自転車を買ってもらえなかったそうです。
そのため、ハンドルを握ってるフリをする
エア自転車で日々行動していました。
お店の前ではちゃんと自転車を止めるように
スタンドを立てるしぐさまでしていたとか。
ポジティブに自分で何とかしようとするところがすごいですね!
エピソード② チキンライス
相方浜田さんの歌う「チキンライス」は松本さんの実話。
ダウンタウンの相方の浜田さんが歌う「チキンライス」。
国民的人気を集めた歌うですが、これも
松本さんの実話をもとに書かれたものなんだそうです。
歌詞にもあるように外に食べに行っても
「高いものを食べたら二度と連れてきてもらえなくなる」
そういう思いから、安いチキンライスを毎回頼んでいたそうです。
親孝行の一種になるのかもしれませんが、
安いものでもみんなで外食している事実を大切にされているようにも感じます。
松本さんの心からの優しさが出てますね。
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エピソード③ タコ
寿司でタコばかり頼んでた。
2017年5月に放送された「クレイジージャーニー」では、
寿司屋についての貧乏エピソードを語っています。
「子供の頃に食べられなかったけど、大人になって好きだと思った物はありますか?」という質問に
松本さんは「寿司」と答えています。
松本さんは小さい頃めったに寿司屋に連れて行ってもらえなかったそうです。
たまに寿司屋に連れて行ってもらえた時にも遠慮してタコばかり食べていたのだそう。
「タコが一番安そうだったから」と語っています。
松本人志さんは色んなところで気を遣っていたのですね。
エピソード④ 幼少期は根暗
子供のころは暗かった。
松本人志さんはもともとは暗かったと自分で言われてます。
しかし、なんば花月のチケットを
お父様が持って帰ってくるようになり
家族で見に行くようになった時から変わったそうです。
「こんな仕事がしたい!」松本さんが考えるようになり、
小学校高学年ではすでに友達と漫才をするなど周りを沸かせていたそうです。
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まとめ
お父様との確執は深く、ご逝去の際にも松本さんもどういう感情を持っていいかわからなかったようです。
ただ、今の松本さんを作ったのは間違いなくきっかけはお父様のチケットであり、お父様の与えた環境がベースです。
今も私たちを笑わせてくれる松本さんのお父様には私たちは感謝をしたいところですね。
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